息子が高校受験をする時、息子の偏差値から面接入試を受けました。息子が高校の志望校を検討している時、先生に呼ばれてある学校の推薦入試をすすめられました。親と相談するということで家に話を持ち帰り、その高校について一緒に調べました。息子が検討していた高校の偏差値よりも少し上の高校であることや、大学進学率が高いことから、面接入試を受けることに決めました。人前で話すことは得意な方だったので、面接の時に緊張するということはなさそうだったので、面接で聞かれそうな内容について考えてみることにしました。自分で質問を想定して自分なりの答えをまとめていくことで面接をリアルに感じることが出来てきたそうです。
大学入試で大学の偏差値は正しいのか。
大学入試で大学の偏差値は正しいのだろうか。本当にその大学がその偏差値を必要としているのだろうか。偏差値が表しているのはあくまで標準で総合的な学力である、大学が求めているのは専門分野、あくまでそのうちの一部でしかないのではないか。今の大学偏差値は、かなり余分な要求を受験生に押しつけているように思えてならない。それは引いては、本当ならその大学に相応しい受験生を逆に遠ざける結果になっていないだろうか。専門的に優れていても総合的に評価が低くなってしまう受験生はまず間違いなくいる。そんな生徒を今の受験の仕組みは見過ごしてしまっていないだろうか。
息子の偏差値から入試について考えました
息子が高校受験をする時は、息子の偏差値から入試について考えました。息子の偏差値は中ランクより少し上のところに位置しており、あと少し頑張れば上のランクには入れる微妙なところでした。大学進学を考えると、少しでも高い偏差値の高校に進み、大学入試対策に取組むことが理想でしたので、志望校選びではとても悩みました。偏差値だけでは決めることが出来ないので、学校を見に行くこともありました。息子は、自分の偏差値より少しだけ上の高校を狙うことを決め、受験勉強で偏差値を上げる努力をすると決めたようです。偏差値を上げることは簡単ではありませんが、息子の意思の強さを感じた受験期でした。
大学入試は大学の入門試験。
大学入試は大学の入門試験、本来はそれだけのことである。単なる通過点に、世間ではどれだけの過重な重圧を押しつけているのか。大学入試で人生の行方が左右される、決定される。それをいっている人たち自体、本当に大学入試で人生を決定づけられたのだろうか。大学入試の結果でそうなったと思い込んでいるだけなのではと思えてならない。挽回できない人生など考えられないし、たった一つの通過点で人生のすべてが決定づけられるなどもはやオカルトじみた考え方に思える。そんなことが本当にあるのかと、信じられないのが正直な感想だ。大学受験の本質を見れば、求めているのは学力でありそのための努力である。それに年齢など決して関係ない。学習するのに十代二十代など年齢制限がないことは、すでに多くの人が実践している事だろう。
大学入試が大学入試という意味から外れた。
大学入試が大学入試という言葉の意味から逸脱してしまっている。多くの受験生が厳しすぎる入試に心身を壊しているのがその証拠である。本来の大学への入門試験から、かけ離れた現在の大学入試は受験生の人生まで決めるような過剰すぎる価値を与えられてしまっている。これでは本来の大学入試という言葉とは全くの別物だ。本来なら、その大学に適した生徒を選ぶだけの入門試験。その大学がダメでも、もっと他に相応しい大学があるという気楽なもので無ければならないはずなのに、様々な要因から、今のような厳しすぎる受験という試練になってしまっている。このまま、必要もない苦行を学生に強いて良いはずがない。早急に本来の大学入試の姿を取り戻す必要があるだろう。
息子の偏差値を早稲田の入試までに上げました
息子が高校入試をする時は、偏差値を早稲田の入試までに上げました。主人が早稲田卒業なので、息子にも絶対に早稲田に行ってもらいたいというのが主人の願いでした。息子もやる気を出していて、中学での勉強も積極的に行っていたのですが、息子の偏差値は早稲田の偏差値にはわずかに至らない偏差値でした。塾での対策と家での主人のフォローを繰り返し、偏差値アップに向けて努力を続けました。息子は、あと少しなのになかなか上がらない偏差値に投げ出したくなる時もあったようでした。息子と主人の努力が実り、模試では合格圏内に入ることが出来ました。
大学入試は高校生には厳しい試練。
現在の大学入試は高校生には厳しい試練となっています。周囲の重圧に、目標となる大学の偏差値の高さに、高校生は厳しすぎる受験勉強をがんばらなくてはならないのです。これはあまりに厳しい試練ですが、多くの受験生がそれに何とか耐え、がんばっている。この現実を前に、私たちは受験生たちに何もしなくて良いのでしょうか。無論、これまでに全く無策という訳では無く、「ゆとり教育」というのもそのための対抗策だったに違いない。しかしその効果も薄く、厳しい試練は続いています。進む大学など明確な目的さえあれば、その生徒に合った大学であればどこでも良いはずで、どうせ苦労するのなら大学や社会で苦労すべきではないでしょうか。未熟な高校生世代にあまりに負担を与えすぎではないかと心配です。
息子の偏差値は慶応の入試レベルではありませんでした
息子が高校受験をした時は、息子の偏差値は慶応の入試レベルではありませんでした。学校の先生からも今の偏差値のままでは危ないと言われたので、息子はより一層の努力をすることにしました。塾に通い、慶応入試対策講座を受講することにしました。また、弱点克服の為に家庭教師をつけて、分からない部分をすぐに消化していくことに努めていきました。模試の成績では合格圏内に入る時とそうでない時があり、まだ不安定な部分が残っていたようです。間違いや解けない部分は徹底してやり直しをすることで、最終的には合格圏内に入ることが出来ました。
大学入試に通信教育は利用可能。
大学入試に通信教育を利用することは十分可能である。だからといって必要以上に期待しすぎてはいけない。結局の所、受験範囲が変わらない時点で内容も限られてくるのだから。通信教育だからと斬新で便利な勉強法があると言うわけでもない。ただ、普段使っている教科書や参考書とは別の観点から範囲を見ることができ、普段の学習の補強には十分に使える。定期的に送ってくる教材は、定期的な復習と考えれば効果は十分だろう。そうしたことを正確に理解してから、通信教育を利用するなら有意義であり、料金は無駄にはならないだろう。宣伝に惑わされて過大な期待をしたからと言って、ショックを受けたり抗議をしたりするのは時間の無駄である。
息子の偏差値が京大入試レベルまで上がりました
息子が高校受験をする時、息子の偏差値が京大入試レベルまで上がりました。我が家は関西方面なので、大学に進学するなら京都大学と決めていました。何でもトップに立ちたいと思うのは、親譲りのようです。息子には幼児教育からずっと教育を受けさせてきました。本人もそれが当たり前と思える環境だったことが救いであったと思います。京都大学を受験するするからには、志望する高校はひとつしかありません。超難関校に挑むのはトップに立ちたい息子には望ところでした。志望校合格の為に一層の努力をして偏差値を京大レベルまで上げたことは驚きました。
大学入試で進研ゼミを確実に有効活用しよう。
大学入試で進研ゼミを確実に有効活用しよう。そうすることで確実に入試を合格することに近づけるだろう。そうした進研ゼミ等の正規の授業以外のツールを有効に活用してこそ、他の受験生たちと差がつけられるようになれるのである。添削式で評価されることで、自分の勘違いや弱点を指摘してもらえて、それに従っていれば、確実に実力アップ。これほどお手軽な勉強法はないでしょう。これを使わない手はありません。受験生としては、大学入試で合格を目指すなら、進研ゼミを是非とも活用しなければなりませんね。高校の授業だけでは不十分ですからね。
息子の偏差値から東大入試までの遠い道のり
息子の偏差値から東大入試までの道のりはとても遠いものでした。息子が高校受験をする時は東大を目指していましたが、東大入試対策に力を入れている難関校にはとてもは入れる偏差値ではありませんでした。息子の偏差値で進学出来る可能性があるのは、都内の中堅クラスの高校でした。それでも息子は東大入試の夢を諦めることなく持ち続けていました。息子が志望する高校では中堅私立大学対策がメインで難関国公立対策はありませんでした。その分、予備校に通って受験対策を進めていくしかないと分かったようです。夢を持ち続けるのは良いことですが、時には現実を見ることも必要だと思いました。
大学入試は受験のためにあるのではない
大学入試は受験のためにあるのでは無い。大学が専門の分野に適した学生かを見分けるためにある入門試験である。本来なら受験対策などする必要もなく、ただ受験生が自分の本質を示し、それを大学が判断する。それだけの話なのだが、まず入試の機会と受けられる大学の数が決まってしまっている事からその意味合いがずれ始めた。一度しくじれば次の機会は一年後である、このため少しでも合格の可能性を上げようと受験対策が始まり、そうした対策が受験生の個性を奪い、大学側も選別のためにさらなる工夫が強いられた。そんな繰り返しで変質していった結果が今の受験である。今や大学入試のために受験があるのではなく、受験のために大学入試があるかのような状況になってしまっている。
息子の偏差値で医学部入試を検討しました
息子の高校進学は、息子の偏差値で医学部入試を検討しました。息子は、自分が持つ持病を診てくれている病院の主治医が大好きで、将来は先生のような医者になりたいとよく言っていました。その夢があったので、息子は勉強に対しての努力を怠らず、高い偏差値を維持していました。高校進学では医学部入試対策に注力している高校を志望する必要がありました。息子は国公立大学の医学部を志望していたので、国公立大学の医学部受験カリキュラムのある学校探しを始めました。学校によって授業のカリキュラムは色々なので、学校説明会で授業内容の確認をして各校の特徴を比較出来るようにしていきました。
大学入試と大学受験は同じ意味か。
大学入試と大学受験は本当に同じものを指す言葉なのだろうか。本来の大学入試の意味を考えるとかなり疑わしく思える。大学受験という言葉が、本来の大学へ入るための勉強という意味から逸脱し、人生の勝負所、人生の決着点のような意味合いになってきてしまっている。そしてそれに大学入試という言葉もつられて影響を受けて、変質してきてしまっているようだ。そんな変質した大学受験のために、多くの受験生が心身的な危機に瀕している。そのことがおかしいと言うことは誰もがわかるはずなのに、一旦受験の当事者になってしまうと、周囲に流され、取り残されまいとその流れにのってしまうのだ。そうして徐々に当初の疑問を忘れていき、受験戦争に没頭してしまう。その流れを断ち切り、本来の大学入試の意味を取り戻さなくてはならないだろう。